【たびワイン】エジプトはナイルの賜物〜古代の葡萄酒醸造〜
古来より愛されていたアルコールと言えは「ビール」と「葡萄酒」ではないでしょうか。
古代エジプトでは「ビール」は一般的に親しまれ、あのピラミッドを建築していた人達にもふるまわれていたと言います。まさに国民的飲み物でした。しかし、同じアルコールの「葡萄酒」は上流階級の飲み物と認識されていたようです。
葡萄酒はビールに比べて造り方はいたってシンプル。葡萄をつぶして壺に入れておくだけで葡萄酒になりますが、地中海沿岸地域に比べて、野生の葡萄が自生していないエジプトでは、葡萄はとても高価なもの。また、アフリカ大陸北東部にあるエジプトでは葡萄を栽培できる環境ではありませんでした。
古代エジプト人はパンを食べていたので麦は日常的にあり、ビール造りの方が葡萄酒に比べて容易だったのかもしれません。
では、どのように葡萄酒はエジプトで造られるようになったのでしょう。
葡萄栽培に適した気候は、気温年間平均15度前後。夏の最高は22度くらい。エジプトは今も昔もこの気候に合わず、暑さの厳しい国です。さらに年間降水量も全く足りません。土壌についてはナイル川の沖積土は肥沃なため、こちらも葡萄栽培には適していません。こんなに葡萄にとって最悪な環境にもかかわらず、古来より現在に至るまで葡萄酒用の葡萄栽培が行われてきました。この様な難しい環境で葡萄栽培を可能にしたのが「灌漑」です。ナイル川から水を引き、水はけのよい土壌を畑としていました。さらに日陰の利用、風通りの良い場所を選び、人工的に計算された環境の畑から収穫される葡萄で造る葡萄酒の生産量は少なく貴重だったはず。ワインが国民的な、大衆的な飲み物にならなかったのも理解できます。
エジプトの古代遺跡を旅していると、数千年前の人々の生活が手に取るようにわかりますが、葡萄酒に関しても造る工程がしっかりと刻まれています。そして古代の人々の葡萄酒造りの行程が今と全く変わらないのも驚きです。
まず、収穫された葡萄は大きな水槽に入れられ、足で踏み潰されます。足で潰すのはとても理にかなっていて、もし石臼や工具を使って潰すと、「苦味」や「えぐみ」の元になる茎や種まで潰してしまう可能性があります。足で潰している時は吊皮につかまり、バランスを崩さないようにしていました。時には音楽を奏で、リズムに乗り、陽気に歌いながら踏み潰していたのかもしれません。
水槽の横には液体が流れてくる蛇口がありそこから葡萄果汁が流れ出しますが、これでは全ての果汁を抽出できないので、水槽に残った葡萄の皮や果肉を大きな亜麻布の袋に入れて数人でねじります。圧搾です。こうすることで果肉や皮に含まれている果汁をさらに抽出することができます。
絞り出された果汁は大型の容器に入れられ、一次発酵が始まります。果汁の中の糖分が酵母の力によりアルコールに変わりますが、温度管理をしながらベストな環境で一次発酵を行う現在と違って当時は自然に任せた発酵。なかなか思うように発酵が進まなかったことでしょう。
それでも一次発酵を終えた葡萄酒は貯蔵用の壺に移し替えられ、今でいうセラーで熟成させます。この時の葡萄酒の扱い方は現在と同じで、出来上がった葡萄酒が空気と触れて酸化しないようにパピルスや藁などの植物で壺に蓋をする配慮がされていました。さらに、壺の口から肩のあたりにかけて、粘土を盛って封印。そして最後にラベルが付けられました。現代のワインのラベルと同じようにここには生産地やヴィンテージが墨書きされていました。そして、その墨書きは何度も上書きされていて、当時も葡萄酒の容器はリサイクルされていたことが出土された葡萄酒の壺から明らかになっています。
世界有数の大河のひとつである「ナイル川」。この河が育んできた土地でエジプトは高度な文明が花開きました。古代エジプト王、ファラオも好んだ葡萄酒。今回エジプトを旅して、多くの美味しいワインに巡り合えました。先人から受け継がれる、素晴らしい品質のワインが多いエジプトですが、現在は人口の90%がイスラム教徒・・・お酒はあまり歓迎されず、生産される国産のワインはもっぱら観光客用なのだそうです。
次回は歴代のファラオたちの墓より出土された壺より、古代の葡萄酒の味わいを考えてみましょう。